香港飲茶雑記ー香港の歴史紹介ページです。

香港って?香港の歴史をサラッとかるーく紹介します。

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「中華人民共和国香港特別行政区」

香港の正式名称です。「中華人民共和国香港特別行政区」と言います。

1842年、英国がアヘン戦争で清朝に勝利しその時に締結された南京条約により、香港島が英国に割譲されました。 その後、第二次アヘン戦争を経て1860年の北京条約で九龍半島を割譲、1898年、新界と周辺の離れ島を99年間という期限付きで租借し、だんだんと領土を広げていきました。 1941年12月25日、日本軍が香港を占領。1945年、無条件降伏するまでの3年8ヶ月日本が統治していました。 その後また、英国の植民地になりました。

香港島景色 1982年、当時の英国首相サッチャーさん(懐かしー)が中国トウ小平総書記と、99年の期限付き租借である新界と周辺の離れ島について、主権は中国に返還するも統治権は英国に残す、という香港返還交渉を始めました。でも中国はこの交渉で、清朝との間で締結された当時の条約は不平等条約だ、って言って全部の領土を返還するよう迫りました。 1984年中国と英国の共同宣言が調印され、1997年7月1日英国領香港の領土はすべて中国に返還されることになりました。 そして1997年7月1日、155年統治した英国から中国に返還されたのです。 英国のチャールズ皇太子、英国領として最後の総督パッテン氏、中国の江沢民国家主席らが 返還式典の為に建てられた香港島湾仔のコンベンションセンターに集まり、返還式典が行われました。

英国国歌が流れる中、英国国旗が降ろされ、中国国歌が流れる中、「五星紅旗」 (参考写真:赤い旗に五つの星)が掲げられました。
この返還式典がおこなわれたコンベンションセンター(半円形の屋根の建物)は、 工期が大幅に遅れ本当に直前まで工事が続いていたんです。ヤムチャは、「これは絶対に間に合わない」って思ってました。でもさすがー、つじつま合わせの得意な香港人!間に合いましたね。

*ここでちょっと話の種(1):コンベンションセンターの屋根は広くて平べったくて歩いたり走ったり出来るよ、絶対!って思ってたら、やっぱり。ジャッキー・チェンの香港国際警察/NEW POLICE STORYの中で使われてました。
*話の種のページをのぞいてみて下さいね。

中国人民解放軍駐香港部隊

そして、小雨降る中、最後の総督パッテン氏は、それまで英国軍の拠点であった"Prince Edward Building"(現中国人民解放軍駐香港部隊大廈)に隣接する埠頭から船で香港を離れたのです。 氏の美しいお嬢さんが船上から泣いて手を振っていたのが、印象的でした。 そして夜遅く、中国人民解放軍が装甲車や戦車の隊列で静かに香港へ駐留してきました。 ニコリともしない兵士達がまた、印象的でした。 日本人である"ヤムチャ"は、国が中国になる、という事に「どう変わっていくのかな」と 多少の不安はあったものの、外国人ですからあまり危機感はありませんでした。

クイーンズロード ですが、香港の人達にとっては非常な不安だったようで返還前には「個人の資産は凍結される」や 「通りや建物から英国関連の名前は無くなるらしい」「街なかで人民解放軍が見回るらしい」と噂が囁かれたものでした。 だから香港の大金持ちや小金持ちはカナダやアメリカ、オーストラリアにこぞって移民したんですね。 でも、そんな事はありませんでした。資産凍結も無いし、クイーンズロード(女王の道、なんてすごいネーミングでしょ)やプリンスエドワード駅、エリザベス体育館など、英国ゆかりの名前は今もそのままです。

中国という社会主義の国でありながら特異な一国二制度の下、香港は外交と国防以外の自治権が認められ、資本主義制度を保持し、国際金融センター、アジアの貿易の拠点、そして中国華南地区の経済拠点として今も発展しています。